平和屋について
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平和屋について

平和屋の歴史

平和屋の原点

  • 町の駄菓子屋が原点だった

    町の駄菓子屋が原点だった

    今からおおよそ80年前。
    1930年代に現店主の祖母が開いた駄菓子屋が、平和屋の原点でした。
    痛ましいニュースや暗いニュースも多く、不安定な世界情勢だったその頃、「少しでも世の中が平和になりますように」という願いを込め、「平和屋」という屋号にしたといいます。
    商いを始めた当処は、大福やせんべい、飴などを売る駄菓子屋でしたので、近所からは「もち屋」などと呼ばれていたものです。
    店の前の未舗装の街道を荷を積んだ馬車が行き交い、平和屋に立ち寄り大福を買うと、馬の引き手も馬もそれは美味しそうに大福を食べたとの事です。

平和屋の転換期

  • 雑貨商、そして食堂へ

    雑貨商、そして食堂へ

    「平和な世の中で有って欲しい」という平和屋の願いとは裏腹に、第二次世界大戦へと突入する日本。
    食料も配給制となってしまい、駄菓子屋だった平和屋は一旦店を閉める事と貼りました。
    そして戦後の1958年、現店主の母が「平和屋」の屋号を継ぎ、お菓子や味噌、醤油やつくだ煮等を扱う雑貨商を始めました。
    その後、「更に多くの人の笑顔を見たい」「美味しいご飯をお腹いっぱい食べてもらって、桐生をもっともっと活気あふれる元気な場所にしていきたい」との想いから、それまで山仕事の職人をしていた父が思い切って食堂を開き、今の食堂としての平和屋がスタートしたのです。

平和屋のこれから

昔ながらの味、昔ながらの人情を大切に

  • お腹だけでなく心も満たせる場所

    お腹だけでなく心も満たせる場所

    あなたにとって、食事とは何ですか。
    中には「ただ栄養を取るだけの物」、と答える人もいるかもしれませんが、それだけでは無いのもまた食事ではないでしょうか。
    家族皆が集まって、同じ食卓を囲み、小話をしながら夕食をつつく。お腹だけでなく、心も満たしてくれる暖かいひと時。
    平和屋は、いらっしゃった一人一人にそんな暖かみを少しでも伝えられる存在でありたいと思っています。
    つらそうな人、疲れている人を気遣って励ましてあげたほうが良い時もあれば、無理に話を聞かず、ほっとしておいた方が良い時もあるかもしれません。
    その人にあった家族のような丁度良い距離感を大切にして、居心地の良い空間を提供していきます。

  • 思い出に残るあの味を

    思い出に残るあの味を

    幼いころに夢中になって食べた、あの味。
    未だにはっきり記憶に残っている、あの味。
    そんな思い出の味は、どなたにでもあるのではないでしょうか。
    平和屋自慢のホルモン定食には不思議とそんな懐かしさを感じる何かがあるらしく、未だに看板メニューの一つになっています。
    他にも丁寧に出汁をとった自家製のラーメン、桐生の地場感溢れるソースカツ丼など様々なメニューがありますが、数十年に渡り平和屋を愛してくださった皆様のためにも、味には一切妥協はしていません。
    「懐かしい」だけの味ではなく、本当に美味しい料理をお腹いっぱいに食べて貰いたいから、馬鹿丁寧に、馬鹿正直に、じっくりと仕込みをして一品一品心と手間暇をかけて料理を作っています。

懐かしい皆と集う場所

  • 懐かしい皆と集う場所
  • 懐かしい皆と集う場所
  • 新たな思い出を作る場所として

    過去を懐かしみながら呑む事で、新たな思い出もできる物です。
    貸切大歓迎、カラオケも楽しめる宴会場で、久々に集まったお仲間と心暖まるご宴会や同窓会をお楽しみ下さい。

    まずはご予算と人数、お好みをお伝えください。
    平和屋の定番メニューを使ったご宴会コースから、お刺身を始めとした和食風のご宴会コースまで、幅広くご対応いたします。
    駅から離れてしまってはおりますが、マイクロバスでの無料送迎もしておりますので、是非お気軽にご利用下さいませ。

    各種某新年会や歓送迎会でのご利用も人気です。